戦国時代の武将・大名の名言集

戦国の武将や大名が生きたのはもう400年も前のことですが、彼らの言葉は現代人、なかでもサラリーマンにどうやら刺さるらしい。なるべく現代語でまとめてみました。

(2013年6月13日UP)

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「思案を重ねた決断であるなら、後戻りする必要はない」

小早川隆景の肖像画小早川隆景
黒田官兵衛とともに戦国時代を代表する知将として有名。兄の吉川元春とともに「毛利両川」と呼ばれた。

「臆病者の目には、敵は常に大軍に見える 」

織田信長の肖像画織田信長
戦国の三英傑のひとり。あだ名は第六天魔王、大うつけ、赤鬼。実質機能していなかった室町幕府を滅ぼし、かつ群雄割拠の戦国時代終結への道筋をつけた。

「己を責めて人を責めるな、及ばざるは過ぎたるより勝れり」

徳川家康の肖像画徳川家康
戦国の三英傑のひとり。応仁の乱から100年以上続いた無政府状態(戦国時代)に終止符を打った。
『徳川家康公遺訓』より。

「人に勝つ道は知らず、我に勝つ道を知りたり」

柳生宗矩の像柳生宗矩
剣の腕凄まじく、「古今無双の達人」「刀法の鳳(おおとり)」「剣術無双」と賞賛された。同時代のなかでも、宮本武蔵と並ぶ代表的武芸者である。
『葉隠』より。




 

「千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす」

宮本武蔵の肖像画宮本武蔵
戦国から江戸時代を代表する剣豪。また、たいへんな芸術家としても知られ、水墨画『枯木鳴鵙図(読み方 こぼくめいげきず)』は国の重要文化財に指定されている。ほか、著書として『五輪書』や亡くなる七日前に書かれたといわれる人生訓『独行道』も有名。
『五輪書』より。

「大将たる人は、威厳というものがなくては、万人を押さえることができぬ。さりながら、悪く心得て、威張ってみせ、下を押さえ込もうとするのは、かえって大きな害である」

黒田官兵衛の肖像画黒田官兵衛
「両兵衛」「二兵衛」とよばれた名軍師のうちの一人(もう一人は竹中半兵衛)。 豊臣秀吉に仕えていた時代は、外交・調略などで活躍。関ヶ原の戦いでは東軍・徳川側につく。
『黒田如水教諭』より。

「人間の一生は若きに極まる」

鍋島直茂の肖像画鍋島直茂
「肥前の熊」と呼ばれた龍造寺隆信の右腕的存在で、佐賀藩の藩祖。あだ名は、「龍造寺の仁王門」「老虎」。
『直茂公御壁書』より。

「小才は縁に逢って縁に気づかず、中才は縁に逢って縁を活かさず、大才は袖触れ合う他生の縁もこれを活かす」

柳生宗矩の像柳生宗矩
剣の腕凄まじく、「古今無双の達人」「刀法の鳳(おおとり)」「剣術無双」と賞賛された。同時代のなかでも、宮本武蔵と並ぶ代表的武芸者である。

「家臣には情けを深くし、知行(土地)を賜るべし。知行ばかりを与えても、情けがなければうまく行かない。知行と情けは車の両輪である。鳥の両翼と同じで、どちらが欠けてもだめである」

蒲生氏郷の肖像画蒲生氏郷
信長秀吉のもとで活躍を重ね、38歳の若さで会津若松92万石を治めるまで出世するも40歳で病没。家臣を非常に大切したことでも知られる。
伊藤半五郎への手紙より。

「我、人を使うにあらず。その業を使うにあり」

武田信玄の肖像画武田信玄
あだ名は甲斐の虎、甲斐の龍。上杉謙信と5度に渡る川中島の戦いを繰り広げる一方で、着実に信濃・駿河を併呑。 無敵といわれた武田騎馬軍団を率いて、織田信長徳川家康を恐怖に陥れるも、京都への西上作戦の途上で病没。

「寝屋を出るより其の日を死番と心得るべし」

藤堂高虎の肖像画藤堂高虎
築城の名人として知られる。なんども仕える君主を変えたことでもしられる。

「仕事は自分で探して、創り出すものだ。与えられた仕事だけをやるのは、雑兵だ」

織田信長の肖像画織田信長
戦国の三英傑のひとり。あだ名は第六天魔王、大うつけ、赤鬼。実質機能していなかった室町幕府を滅ぼし、かつ群雄割拠の戦国時代終結への道筋をつけた。

「人生は長いのだから、山川を越えて自分を強くすること。好きな事ばかり取り入れずに、むしろ、苦手なことに立ち向かっていくこと」

小早川隆景の肖像画小早川隆景
黒田官兵衛とともに戦国時代を代表する知将として有名。兄の吉川元春とともに「毛利両川」と呼ばれた。

「為せば成る、為さねば成らぬ。成る業を成らぬと捨つる人のはかなさ」

武田信玄の肖像画武田信玄
あだ名は甲斐の虎、甲斐の龍。上杉謙信と5度に渡る川中島の戦いを繰り広げる一方で、着実に信濃・駿河を併呑。 無敵といわれた武田騎馬軍団を率いて、織田信長徳川家康を恐怖に陥れるも、京都への西上作戦の途上で病没。

「運は天にあり。鎧は胸にあり。手柄は足にあり。何時も敵を掌にして合戦すべし。疵つくことなし。死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり」

上杉謙信の肖像画上杉謙信
あだ名は軍神、越後の虎、越後の龍、聖将。その強さと「禅僧武人」ともよばれる正義感の強さを人に頼られ、関東・信濃を転戦する。なかでも甲斐の武田信玄と5度にわたって繰り広げた川中島の戦いはあまりに有名。
『壁書』より。

 

最後に。
織田信長の言葉を。
織田信長の肖像画(宣教師ジョバンニ・ニコラオ作)左の肖像画は、宣教師ジョバンニ・ニコラオの作。三宝寺所蔵で信長を描いたと伝えられています。
みずからを第六天魔王と称し数々の改革を断行。歴史に残るまばゆい業績から、わたしたちは織田信長を生まれついての天才と考えがちです。
ですが、彼はこんな言葉をのこしています。
 

 
「必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ」
 

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