続! 戦国武将たちのオモシロ兜


引き続き戦国武将たちの変わり兜をご紹介していきます。本多忠勝、井伊直政と「徳川四天王」の2人は先にご紹介したので、残りの2人の兜も。

赤い兜に鹿の角ーーでも幸村じゃない

酒井忠次所用の兜『朱塗黒糸威二枚胴具足(しゅぬりくろいとおどしにまいどうぐそく)』
酒井忠次所用の兜『朱塗黒糸威二枚胴具足(しゅぬりくろいとおどしにまいどうぐそく)』(安土桃山時代)。画像引用元:文化遺産オンライン
真っ赤な兜に金色に輝く鹿の角

ーーと、くれば真田幸村のものかと思ってしまいますが、これは「徳川四天王」のひとりで徳川家康の人質時代からの古参の重鎮・酒井忠次(ただつぐ)のものです。

鹿の角も前立として人気があったようで、いろんな武将が鹿の兜をかぶっていました。鹿の角ってカッコイイもんね。

鹿ツノの兜というと真田幸村(信繁)が真っ先にイメージされるかと思いますが、残念ながら幸村の鹿ツノ兜は現存していないそうでどんなものかは不明みたいです。

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次も四天王。

煩悩と敵を薙ぎ払え!

榊原康政所用の兜『三鈷剣付阿古陀形六十二間筋兜(さんこけんつきあこだなりろくじゅうにけんすじかぶと)』
榊原康政所用の兜『三鈷剣付阿古陀形六十二間筋兜(さんこけんつきあこだなりろくじゅうにけんすじかぶと)』(安土桃山時代)。画像引用元:文化遺産オンライン
剣が…丸ごと…ダイレクトに…

シンプルだからこそ力強さを感じます。

この剣は普通の剣ではなく「三鈷剣(さんこけん)」という煩悩を打ち払うパワーを持つ法具。不動明王が持っていたりするやつです。

この兜は徳川家康が「徳川四天王」のひとり、榊原康政(さかきばらやすまさ)に下賜したものだそう。康政は武勇だけでなく学問にも通じた文武両道の人物で、家康の天下取りに大きな貢献を果たしました。

現存する康政の肖像画にこの兜をかぶっているものがあるのですが、それがこちら。

榊原康政の肖像画

三鈷剣が控えめに描かれているためか、思ったより落ち着いた印象ですね。

康政所用の変わり兜をもうひとつ。

榊原康政所用の兜『南蛮帽子形兜(なんばんぼうしなりかぶと)』
『南蛮帽子形兜(なんばんぼうしなりかぶと)』(安土桃山時代)。画像引用元:東京国立博物館
こちらの兜も家康から下賜されたといわれる品。ポニーテールみたいなフサフサがチャームポイントです。

次は波乱の人生を送った家康の次男のステキな兜。

ダイナミックにして優美

結城秀康所用の兜といわれる『飛雲脇立付唐冠形兜(ひうんわきだてつきとうかんなりかぶと)』
結城秀康所用の兜といわれる『飛雲脇立付唐冠形兜(ひうんわきだてつきとうかんなりかぶと)』(安土桃山時代)。画像引用元:図説・戦国甲冑集
兜の両脇からスラリと伸びるツノのようなものが模したのは飛雲

奇抜だけど垢抜けた美しさも感じられるスタイリッシュな兜です。黒一色というのもシャレてます。ちなみに兜本体は、「唐冠」という昔の中国のエライ人がかぶっていた冠をかたどっています。

このセンス抜群の兜の持ち主は徳川家康の次男・結城秀康(ひでやす)といわれています。家康の次男ながら3歳まで父親である家康と会ったこともなかったり、豊臣秀吉に養子(というか人質)に出されたり、後継者に選ばれなかったり、とちょっぴりかわいそうな人です。でも、養父・秀吉からは武勇に優れ豪胆な性格を愛され、実の息子のようにかわいがられたそうな。

次は隣に並びたくない兜。

絶対に振り向けない兜

藤堂高虎所用の兜『黒漆塗唐冠形兜(くろうるしぬりとうかんなりかぶと)』
藤堂高虎所用の兜『黒漆塗唐冠形兜(くろうるしぬりとうかんなりかぶと)』(安土桃山時代)。画像引用元:岐阜県博物館
数ある変わり兜のなかでもトップクラスのキテレツっぷり。何目的でこんなに横長にしちゃったの?

いくらなんでも付け根からポッキリ折れそうだし、突然振り向かれでもしたら横にいる人の顔面に直撃しそうです。

このデンジャラスな兜の持ち主は戦国武将藤堂高虎。何度も主君を変えたことで有名な人です。あと特技は築城です。この異様な兜は豊臣秀吉からの拝領品と伝わりますが、派手好きな秀吉なら「いかにも」と思ってしまいます。

高虎は身長190センチを超える大男だったという説もあるのですが、そんな大男がこれをかぶっていたら目立つどころの騒ぎじゃなかったでしょうね。

次は飛び出し系。

鳥の羽スプラッシュ

細川忠興所用の兜といわれる『越中頭形兜(えっちゅうずなりかぶと)』
細川忠興所用の兜といわれる『越中頭形兜(えっちゅうずなりかぶと)』(安土桃山時代)。画像引用元:猫アリーナ
まるで噴水のごとくなにかが頭頂部から噴き出しています。ファンキー!

噴き出しているのは山鳥の羽。シンプルな兜の鉢とのギャップに独特なセンスを感じます。

漆黒のボディに差し色の赤がオシャレな鎧は『黒糸威革包畦目綴二枚胴具足(くろいとおどしかわつつみうなめとじにまいどうぐそく)』と呼ばれるもので、戦国武将・細川忠興(ただおき)のものといわれています。

先述しましたが、細川忠興は甲冑の研究・開発に熱心に取り組み、自身の合戦経験をいかし実用的で守備力の高い実践第一主義の甲冑「越中具足」を完成させました。とはいえ、そこは風流人としても知られた忠興らしく、さりげない美しさが散りばめられています。

次はモフモフ系。

詰め込みすぎじゃありません?

水野勝成所用の兜『永楽銭紋入黒熊毛入二枚胴具足(えいらくせんもんいりくろくまげいりにまいどうぐそく)』
水野勝成所用の兜『永楽銭紋入黒熊毛入二枚胴具足(えいらくせんもんいりくろくまげいりにまいどうぐそく)』(江戸時代?)。画像引用元:福山城博物館
これ、要素詰め込んだなー。

なかでも鎧の永楽銭(昔のお金)が目立ってしょうがない。的と間違われて矢とか射られそう。とんだ目立ちたがり屋さんです。と、思っていたら兜のカオスっぷりもヤバい。全体を熊の毛が覆い、鹿のツノが生え、さらに人の耳までついてます。キメラもびっくり。

しかもこれを着用していたのが75歳のおじいちゃんというのがアツい。戦国時代を生き抜いた歴戦の勇・水野勝成(かつなり)という人物で、備後国福山藩の初代藩主でもあります。勝成は、江戸時代に九州で起きた「島原の乱」の際にこれを着用し、幕府軍として参陣したそう。島原の一揆軍も「ヤバい人来た」ってざわついたに違いありません。

次は幸村のお兄ちゃんの兜。

真田家のシンボルをさりげなくデザイン

真田信之所用の兜『唐冠形兜(とうかんなりかぶと)』
真田信之所用の兜『唐冠形兜(とうかんなりかぶと)』。画像引用元:戦国武将変わり兜図鑑
クルッとしてて、ピョコンとしてて、シュッとしてます

ベースになっているのは中国の官吏の冠「唐冠」をデザインした兜で、横から「嬰(えい)」と呼ばれる飾りが飛び出ているんですが、ここがオシャレポイント。

ご覧の通り透し彫りになってるのですが、デザインされているものがグッときます。拡大するとわかるかな?

兜にもデザインされている真田家の家紋「六文銭」

そう、真田幸村(信繁)もシンボルマークにしてる真田家の家紋「六文銭」です。

この兜の持ち主こそ幸村の兄・真田信之(のぶゆき)大河ドラマ『真田丸』では大泉洋さんが好演してたあのお兄ちゃんです。信之は真田家の長男なのですが、天下分け目の「関ヶ原の戦い」の際、弟の幸村と父・昌幸が石田三成率いる西軍についたのに対し、自身は徳川家康率いる東軍につきました。戦後、真田家ゆかりの上田の地を守り、父の助命嘆願に奔走するなど「真田家」のために尽力しました。幕府の要人からも信頼あつく、91歳になっても現役でがんばった偉大な人物です。

幸村に比べると信之の印象は地味めですが、ホントにすごい人なんです。

ちなみにコーエーの大人気ゲーム『戦国無双』に登場する信之のキャラもこの兜の「嬰」がデザインに反映されています。

戦国無双の真田信之
耳のうしろにご注目。画像引用元:戦国無双 真田丸
さて徳川勢武将の兜をご紹介したので、次は豊臣勢。

まずは、クマ系シリーズ。

寒い季節でもバッチコーイ!

片桐且元所用の兜といわれる『総黒熊毛植兜(そうくろくまげうえかぶと)』
片桐且元所用の兜といわれる『総黒熊毛植兜(そうくろくまげうえかぶと)』(安土桃山時代)。画像引用元:katsumoto samurai history
兜も毛モジャ、面頬も毛モジャ、もちろん鎧だって全面これ毛モジャ。もはやクマのコスプレ。どうでもいいが獣臭がしそうだ……。

クマの耳っぽい部分は可愛らしい。冬は暖かそうでいいですが、真夏の合戦では使わなかったんでしょうか? 見ているだけで夏バテする。

クマの毛を兜や鎧に使用したものはわりとよくあるのですが、ここまで徹底したものは珍しい。このクマ甲冑の持ち主は、豊臣家の家老で豊臣秀頼の後見人を務めた片桐且元(かたぎりかつもと)といわれてます。且元は豊臣家の重鎮ながら豊臣と徳川の間で板挟みになり、最終的に徳川方についた人物です。苦労人のイメージ。

次は大坂の陣で憤死した猛将のクマ兜。

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